鑑 賞 室

巧妙な作意、きれいに浮かび上がる文字。
”一局で二度おいしい” あぶり出しならではの楽しさ、面白さを、じっくりとご覧ください。



※将棋盤右上の「発表」年月は、原則として結果発表月を表しています。



イ−1 丸山正為氏作



出 典 将棋イロハ字図
発 行 1927年9月


イロハ全四十八文字のあぶり出しを史上初めて完成させた作者。その著「将棋イロハ字図」(昭和2年刊)は、四十八文字に加え漢字の「京」(!)に至るまでの全ての文字を、表(初形曲詰)と裏(あぶり出し)のセットで完成させた驚異の作品集です(その後濁点・半濁点付きの文字まで全て完成!)。内容に関してはほとんど見るべきところはありませんが、その歴史的意義は不滅です。


イ−2 山田 修司氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1951年8月

「イ」の字コンクール1位
『夢の華』第13番
『古今中篇名作選』第34番


    【 『夢の華』第13番作者解説を転載 】

 戦後、曲詰は飛躍的な発展をとげたが、その導火線となったのがこの曲詰コンクールであった。後に曲詰作家として一家をなした、門脇芳雄氏もこの頃から本格的に登場するようになる。
 「ABC曲詰」(詰パラ昭和31年3月 増刊号)は、発表は少し後になったがこの頃作ったもので、(中略)表の象形図と裏の詰上り型が同型、且つ表は最初の玉位置、裏は詰上りの玉位置がすべて5五玉というもので、凝ったところはあるが、反面、何作かに飾り駒があったりして、全編充実した連作とは言い難い。強いて言えば、曲詰の過渡期であって、飾り駒などに関する見解も曖昧であった時代であるから、この連作はそういった問題提起になって読者サロンなどを賑わせたので、曲詰というものの考え方が定着していく踏み台としての意義くらいはあったのかも知れない。ともかく、当時の私にはあくまで新しいものへの挑戦であり、また曲詰とはどういうものかを確かめるための、作品群であった。賀状曲詰のはしりとなった「オメデトウ」は、19歳の正月、詰上り5五玉、19手詰の連作を葉書一枚に詰込んで賀状としたものである。曲詰というものが殆ど見受けられなかった当時だから、評判となって誌上に転載、懸賞出題され、以降のイロハ字詰募集など曲詰ムードを煽る契機となった。この頃、私がこういった曲詰を少し作ったのは、まだ誰も手がけていない(古作は殆ど知識になかった)未知の部門だったからであるが、その後作る人が増えるに連れて私の分野ではなくなっていった。因みにこの後、あぶり出し曲詰は私には一局もないのである。


イ−3 山田 修司氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1951年12月

『夢の華』第17番
修正図


    【 『夢の華』第17番作者解説を転載 】

 この作は、現在の観点で云えば、文字が中央に位置しない、いわゆる「田舎の曲詰」ということになるのであろう。北原義治氏が言い出した言葉だそうである。
 それはともかく、当時は曲詰自体、発表されることは殆どない試行錯誤の時期で、そういった考え方もはっきりしていなかったから、中央のと、少し手順を重視した本局と、二つ作った。
 詰上りの意外性では、こちらが勝るだろうなどとヘンな理屈を考えたフシもあるが、今見直せばいみじくも、イなかのイの字ではある。
 そんな訳で本書には、さきの第13番(管理人注=「イ−2」のこと)のみを残すつもりでいたのであるが、昭和の曲詰史に大きな足跡を印し、また古図式研究第一人者としても知られる門脇芳雄氏の名作作品集「曲詰百歌仙」の氏の自伝に前記の記述(注@)があり、本作にも多少の意義があったかと思い直し、収録することにした。
発表図  なお、発表図(右図)はこの図と少し違っている。このとき二案作ったのであるが、今回、本書にはもう一つの方を記録した。発表図と比べると手順はこちらが大分良い。文字を形成する駒も一つ余分に動く。しかしこの時私は、何故かこの作の構図が気に入らなかった。言葉では旨く表現できないが、中央部分の構図が散漫のように感じて、発表図の方を投じた。 発表図は序が物々交換風だが、ここのところは図巧の影響を強く受けている。例えば(中略)図巧第69番の導入部(注A)と同じ要領で、図巧にはこういった導入部を持つ作品がかなりある。自然に手順の中に入っていく感じで、主眼部をむき出しにしない効果を与えているが、俗っぽいともいえるし、遊ぶ、ともいえる。
 当時の私は、こういった前奏部をむしろ好ましく思っていた。好きになってしまえば「あばたもえくぼ」でなんでもよく見える。
 年数を経れば人の考え方も変わってくる。成長もする。私も今ではこういった俗な部分は特に必要ない限り排除した方がよいと思うようになった。

注@…(一部のみ引用。熱心家は「曲詰百歌仙」または「夢の華」をご覧ください。)『この作品を見て、私は目からうろこが取れた様な気がした。曲詰創作の一段階である「流動派」の欠点がはっきり判った。私もこういう作品を作ろうと考えた。この時から私の作風は一変して、妙手追求型に変わった…』
注A…図面省略。大橋光一氏のHP 詰将棋博物館 を参照されると良いでしょう。
管理人注…『夢の華』に掲載の図は玉方44歩となっていますが、その後44香に修正されました。


イ−4 長谷 繁蔵氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1964年3月

柴田昭彦氏長女恵子ちゃん誕生祝賀詰


    【 作者との一問一答 】

  ――祝賀詰の割り当てはどうやって決める?
作者 「半分押し付けでは…。世話人の中に有望作家が居られるのに。」
  ――創作期間はどれくらいあるのでしょう。
作者 「半月くらいあるのでは?」
  ――中にはどうしても『勘弁して』と言う人もいる?
作者 「いたかな? あの時分の私は断らなかったかも。」
  ――本作の創作期間は?
作者 「覚えていません。」
  ――本作のセールスポイントは?
作者 「やはり収束の金合が決まった所かな。」
  ――最も苦心したところは?
作者 「変化同手数が曲詰だけに…。希望手順になった所かな。」
  ――またあぶり出しを作ろうとは思いませんか。
作者 「思いません。ヤングデの課題で出題、これなら考えるかも。」

※そうおっしゃらずに是非また作ってください。ご協力ありがとうございました。


イ−5 星野 健司氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1974年10月

趣向詰将棋名作選148番


イ−6 上田 吉一氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1980年10月

創棋会記念曲詰
極光 第16番
極光21 第10番

    【 極光 作者解説 】

 本集では唯一のアブリ出し曲詰。
 神戸新開地の割烹「金平」(経営者の高瀬堅二氏が創棋会員)の創業45周年を祝し、創棋会有志が記念曲詰を創作した。
 この作品は、その中の一局である。
 ごく最近まで、曲詰には縁がなかったが、曲詰の大家、岡田敏氏に勧められ、おかげで数作手懸ける機会を得たのである。
 そして、本作辺りでどうやら水準に達したのではないか? と思っている。
 とにかく受け持った「イ」の字形にするだけが精一杯。「やはり曲詰は難しい」と言う他なさそうである。

    【 解説 柴田昭彦 】

☆若島氏と同様にこの人の作品も難しいものが多い。本作は今回では一番の難問。初手は絶対として次の手が難しい。当然のような55金ではなくて曲詰らしからぬ妙着83角成とは実に素晴らしい。65歩合を強要させてから55金から66銀もこれ又絶妙な手筋である。83角成や66銀等の妙手を連発するあたり、上田氏の面目躍如たるものがある。馬を巧みに操って収束に持込む手順も旨く出来ているし、再度歩合を強要して詰上りに持って行く道程にもソツがない。「イ」の字としては近来の傑作誕生と云いたい所だが、そうも行かない部分がある。16手目の45歩合は香でもよいし最終手の余詰が容認されているとはいえ、54龍の所で54銀成の手が成立するのは曲詰なるが故に気になる。傑作とは何の欠点もないものとすれば、本作はそれを満たしていないので、好作止まりということにならざるを得ないだろう。
堀口国雄―83角成は兎に角、66銀とは凄い手があったもの。
井上紀男―守備駒「馬」だけと少数駒にもかかわらず、変化も充分な駒の動きには恐れ入った。
松山秀樹―どの手をみてもいいなあという感じ。66銀なんて「イ」だと思わなければとてもわからない。
藤田雅志―今回の催しの中ではピカ一作品。少ない駒数乍ら仲仲難解で57馬を得る手順が素晴らしい。収束もピタリと決まって文句なしの好作。
☆大変好評だったが、酷評を一つ。
馬場雅典―上田氏の日頃の冴えが見られない。合駒非限定、最終手からの余詰を誤があるにせよ(管理人注…原文のまま)、容認するとは。


※16手目香合には、同飛、同馬、54銀成、同馬、56香、64玉、54龍以下長手数の別詰があり、作意は限定されますが、解答者には強制できません。”準限定”といったところでしょうか。
また最終手で54銀成とされると字にならず、あぶり出しとしては痛いキズです


イ−7 若島 正氏作



掲載誌 近代将棋
出 題 1981年7月

塚田賞、看寿賞
『恋唄』第59番
『盤上のファンタジア』
第72番




イ−8 服部 彰夫氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1982年1月
結果発表 1982年3月

半期賞



イ−9 柳田 明氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1988年6月
結果発表 1988年9月

橋本哲・深井一伸両氏
結婚祝賀詰



イ−10 新ヶ江 幸弘氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1998年11月
結果発表 1999年2月

「新ヶ江幸弘の曲詰」



イ−11 岡田 敏氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 1998年12月
結果発表 1999年3月





イ−12 森本 哲司氏作



掲載誌 詰パラ
発 表 2006年4月

『きしはじめ』名義で発表



    【 作者感想 】

高校では通用しないとヤン詰解答付きに送った作。収束は新しいと思う。


イ−13 金子 清志氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 2006年7月

宗看生誕300年記念曲詰



イ−14 西 輝人氏作



掲載誌 詰パラ
出 題 2008年6月
結果発表 2008年9月







   
 
 

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