鑑 賞 室

表紙ダイジェスト

巧妙な手順、きれいに浮かび上がる文字。
“一局で二度おいしい” あぶり出しならではの楽しさ、面白さを、じっくりとご覧ください。



※将棋盤右上の「発表」年月は、原則として結果発表月を表しています。



表−1 小川 悦勇氏作



掲載誌 詰パラ
出  題 1955年8月

修正図



※ 「 冬眠蛙の冬眠日記 」 で結果発表が行なわれた際の作者の言葉と解答者評から、いくつかをピックアップして転載いたします。関係者の皆様には、悪しからずご了解くださいますよう、お願い申し上げます。

★作者の言葉
「これの原図はS29年に詰パラに縦4列の市松で発表しました。
しかし、簡単な早詰があり解答者には創意まで伝わりませんでした。
当時は、1発勝負、「不完全作は即作者の負け」の意識が強く、例え修正が出来ても修正図の発表は出来ませんでした。(4列での修正は難しく5列にして保存)
その後、岡田敏さんが同じ構想で38年頃に発表し、それが1号作になっています。 (S29年頃から敏さんとは文通していました、ですから、敏さんの馬鋸曲詰 1号作は私との隠れた共作という事になります)」

たくぼんさん
「34手目67玉を詰ますための12龍捨て&45と消去の伏線があり、そして収束馬鋸も入る詰上り市松の炙り出し。あぶり出しでこれほどの内容を含んだ作品はそうそうはお目にかからない。一言『素晴らしい!』」

隅の老人Bさん
「傑作です。『苦労して解きました』と云いたいが、詰手順は知っていました。この作品の収束、馬鋸の処は、昭和41年3月発表の岡田敏氏の市松作品と類似していますが、実は、この作品の創作されたのは、それよりも10数年以前です。
ただ、残念なのは、発表時は不完全。
このたび、Aさんが、これを修正、蛙さんのご厚意で、再度の出題となりました。
良い作品は、いつ並べても良い。古さを感じません。
特に、12竜の妙手には、感心。さすがAさんです。
不完全作を修正して、後生に残すのも大切な事ですね。」

利波偉さん
「作者名と配置から市松模様になるのは推測できたのですが、左斜上半分の市松模様になると即断したたため、投了寸前に自らを追い込んでしまいました。(それはパラ1955年4月号の氏の発表作の右斜め下半分の市松模様の傑作の対になる作品だと思ったからです。)
 12龍の伏線と45とを捨てる伏線が78桂を捨てる手と複雑に絡んだギミックは氏ならではの大型曲詰で、他の追随を許さない作者の詰棋観を内包した傑作です。
 解いた後、データベースで調べたら、1955年8月号詰パラの修正図なのですね。9筋配置が若干重い理由が解りました。でもこの作品を1筋寄せることによって修正をし、しかも9筋も舞台づくりに一役かわさせるとは、流石の修正図です。今から半世紀も前の作品をこのような形で甦らせる。前の風車をたくぼんさんのHPで復活させた時も感動しましたが、今回もまた感動を与えていただきました。作家というものは、かくあるべしを体現してくれる、氏に乾杯」


表−2 北原 義治氏作



掲載誌 近代将棋
出  題 1959年1月



    【 古今中編詰将棋名作選U(詰パラ1978年8月号)解説より 】

    解説 ‐ 黒川一郎
 初形の配置といい、その巧緻にして精妙なる手順の運びといい、いや曲詰もえらくスマートになりましたな。
 単なる追廻しや、飾り駒などは一切姿を消した現在、最早「曲詰だから」とか「曲詰にしては」などの甘い言葉も過去となった。
 戦後曲詰がここまで来たのは、勿論山田修司とか門脇その他の曲詰フロンティア達の情熱と努力の賜であるが、北原氏も勿論その一人である。
 さて本局、34から逃亡せんとする玉を、中央白州にどうしたら引出せるかが、序盤の見所である。
 初手から36龍までは、解者の意表を衝く意外手。玉は34によろけるが、14玉には16龍、15合、36馬以下どう逃げても掴まって了う。この変化は不詰感が先行する場合だけに読み難いし又作者の狙いの一つでもある。そして一見嘘手に見せる難手で集約して行くのが近代曲詰の特徴ともいえよう。
 64馬から42馬と飛び込んで、いよいよ本局のハイライト、華麗な捌きのショーが中央の舞台一杯に繰り広げられる。
 そして一手一手が巧妙な手品師の手捌きのように、リズミカルな音律と共に運ばれると、要処要処の駒は己が持味一杯の演技を披露し尽くし、やがて絢爛たるフィナーレ、56龍に依り盤面<Y>の字が鮮やかに浮かび上る。
 曲詰としては典雅な初盤配置、適度の難解さに加うるに、手順又俗に堕さず北原氏の特色がよく現れた傑作。
 第13期 塚田賞受賞作。


表−3 岡本眞一郎氏作 「6」



掲載誌 詰パラ
出  題 2003年9月
結果発表 2003年12月



    【 発表誌解説より 】

    担当:平井康雄
☆間違いなく、作者名を見ただけで解きたくなる作家の一人、岡本氏の作品。今回も期待を裏切らなかったようですね。氏の曲詰は極端に難解な手が入るわけではないので解きやすく、無理のない構成でわかりやすく、その上で不成か捨合の味付けを必ず入れてくれる。同じようなスタイルで何十作も作り続ける創作姿勢にはただただ頭が下がります。
☆47金以下清算して58香で最初の合駒ですが、この辺りは問題なく通過できます。
☆10手目45玉か46玉かで一瞬迷いますが、45玉では46歩から47歩で形を決める事ができるので早詰。46玉なら47歩が打てないので47飛と追跡するしかありません。
☆12手目も55玉か56玉かで悩ましいところですが、55玉なら54銀成、同香、56歩以下作意で2手短い。一旦56玉と逃げて57歩を打たせるのが正解です。
☆54銀成、同桂をすぐに同馬と取りに行けないので、再び57飛形に戻してから取りに行きます。58桂を据えて再度47飛。ともかく、飛車が左右にこまめに動きます。
☆ここでお約束の46歩捨合。これを見落とした人が数人いたのは意外でした。
☆45飛捨てが最後の仕上げですが、ここでまた意外な波乱がありました。素直に同玉と取るのが作意ですが、一旦56玉と逃げて57歩以下39手で詰める人が数人。実は56玉には57馬で早詰だったのです。お気の毒でした。
☆詰上りは「6」。カタカナは全部完成されたのかどうか知りませんが、別分野にも進出されたようですね。
市原誠−飛がクネクネ動くところが面白い。
詰鬼人−狭い場所での細かい攻防で玉の逃げ方に神経を使います。
砂川順一−曲詰にしては細かいやりとりが続く。そしてそれがきちんと割り切れているのは素晴らしい。


表−4 門脇芳雄氏作 「中菱」



掲載誌 詰パラ
出  題 1963年2月

『曲詰百歌仙』第94番

(修正図)



    【 『曲詰百歌仙』 作者解説より 】

 自作では最も詰手順に自信のある作品です。
 数回に亘る44への捨駒や、伏線の12馬(原図では13角)消去や意表を衝く73へ玉の追い出しと5筋への追い戻しなど解答者にとってかなり意外な手順で、大変気に入っています。
 発表図には残念なことに余詰があり、本図の様に修正しました。
 攻方は44への捨て駒の繰り返しで22銀を消し、さらに12馬を消します。この12馬捨ては後の攻めに備えた伏線で、序盤の眼目の手です。
 これに対し玉方は95馬が頑張っている間は64玉と逃げられません(64玉だと56桂、63玉の時、73銀成から85桂の攻めがある)が、 攻方馬が質駒の77金を入手しながら95の持場を離れた瞬間、左翼方面への脱出を狙って、44馬、64玉と変わります。
 A図(管理人注…16手目64玉の局面。図面省略)で左翼は攻方の備えが薄く、一見玉に脱出された様に見えますが、 ここで54金と捨て、同歩、73銀、同玉、85桂から62馬と入る攻めがあって息は切れません。 この62馬の時82玉の逃げが心細い変化ですが、ここで序盤に12馬を消しておいた伏線の効果で11飛成の手が生じて手が続きます。
 62馬、64玉の時、一旦73銀、55玉と重く攻め、入玉を押さえてから64銀、同玉、56桂と再活用するのは私の得意の手法です。
 これは私の真髄を発揮した作品で、単に傷がなくて詰むだけの作品とはものが違うと、ちょっと自慢したい作品です。 22馬のところ11馬の手があり非限定ですが、こんなキズなど気にしない、気にしないと言うのは勝手な独り言。
 当時詰パラの大学は毎月30人ぐらい解答者がいましたが、本題の作意正解者は10人でした。
    発表誌の評
森田昌弘―詰め上げてしばしタメ息あるのみ…

   【 変化 】
2手目同玉は、21馬、32合、同馬、同玉、33金、41玉、31銀成以下。
4手目64玉は、56桂、55玉(63玉は73銀成、同玉、85桂以下)、77馬、46玉、68馬、37玉、27金打、48玉、18飛、38銀合(38飛合は同飛、同玉、28飛以下)、59金、39玉、57馬、29玉、28金まで。
6手目同玉は、77馬、55合、13飛成以下。
16手目同玉は、56桂、33玉、13飛成、23合、45桂以下。
24手目82玉は、73銀、92玉、82金、93玉、84銀成、82玉、73馬、81玉、11飛成以下。


表-5 飯尾 晃氏作 「W」



掲載誌 詰パラ
出  題 1979年4月
結果発表 1979年6月

『饗宴』 第41番



    【 『饗宴』 作者解説より 】

 就職して一年間、駒を手にすることは殆どなかった。詰研の例会に初めて参加したのは2年目の5月。 門脇芳雄氏に、「三百人一局集」の候補に名前が挙がっているから来てみないかと誘われたのがきっかけ。 もし、この作を作っていなければ氏からの電話はなかったろうし、この作品集に席を与えられることもなかったと思う。
 早稲田の「W」。言うなれば卒業制作。奇しくも就職したその月、短大の曲詰特集に選題されたが、周りはと見ると吉田、岡田、柴田、森田というベテランの面々。 職場における自分の姿を象徴しているようだった。 駒数が少ないのでほぼ一本道の逆算だが、序の4手には苦心している。半期賞受賞。
◇発表時の解説(柴田昭彦氏)から
 序盤が特に厄介で52飛成に対する53金寄、そして66飛から62飛成は相当に難しい。(略) 7手目は常識的に指せば63飛成だが、それでは詰まない。62飛成とは正に絶妙手である。 後半の手順も抵抗感があってスンナリと行かず苦労された人が多かったと思う。 駒数が少ない割にこれだけ難しい曲詰も珍しいのではないだろうか。
亀井陽東― 一手一手が重量感にあふれた好局。深く62へ成り込むのが盲点。変化も充分楽しめた。
平井康雄―終始ゆるみのない手順で、変化にも味がある。完成品の香りただよう。
秋元節三―まさに変化紛れのヤマ又ヤマ、それだけに解後感が良い。


表−6 門脇芳雄氏作 「引違」



掲載誌 風ぐるま
出  題 1954年10月

『曲詰百歌仙』第100番




    【 『曲詰百歌仙』 作者解説より 】

 「引違」は、曲詰作家として生涯でどうしても作っておきたい目標です。これを作ったのは19才の時だったと思います。
 力を入れて作ってあるので変化はかなり難しいと思いますが、初期の作品なので妙手などほとんどなく、只力まかせに逆算しているだけですが、その頃はこんな作品でも「傑作」と言われたものです。何を作っても褒められる「古き良き時代」でした。
 本題は最初昭和27年の「詰将棋パラダイス賞」に応募しましたが、当時の選者土屋健氏の錯覚で不完全作と間違えられ、陽の目を見られませんでした。もっともそのおかげで後に中盤の51と、同玉、43桂、同金の4手が追加できて、作品としては幾らか充実しました。
 自作中では一番の長手数ですし、かなりの難解作です。「将棋無双」の第30番(左右馬鋸の詰上がり左右対称形)を別格とすれば当時曲詰の最長手数記録作でした。自分でもこの作品をどう位置づけて良いのか判らないのですが「若き日の金字塔」とでも言うべきか、若い頃の記念写真の様な作品です。
渡部正裕 「詰上りからかくの如き複雑難解な長手数を引き出した作者に敬服の念を寄せたい。おそらく作者の、そして現代の代表的なあぶり出しの傑作であり、名作であろう。」
山田修司 「この作品は門脇氏の初期の作品であるが全編にみなぎる力強い手順は当時の作者が曲詰にかけた若々しい情熱をうかがい知るに充分である。73手という長手数も記録的であるし、戦後初めての大型曲詰という点でも意義のある作品と言える。現代の代表的な曲詰の一つに数えられるべき力作である。」

   【 変化 】
2手目87玉は67龍、77歩(同金は88銀以下)、86と、88玉(同玉は76龍、97玉、77龍以下)、68龍、78桂成、79金、99玉、88銀、98玉、76角まで。
4手目87玉は67龍、77歩、76龍、78玉、68飛、同玉、67龍、79玉、77龍、78飛合(78桂成は88銀、69玉、78龍以下)、68銀、89玉、79金、99玉、97龍、98飛成、同龍、同玉、88飛以下。
26手目64玉は74金、65玉、66銀、同玉、84馬以下。
38手目42玉は52と、同玉、63銀生、41玉、52銀打、42玉、43と、同金、同銀、同玉、54と、32玉、31桂成、同玉、43桂以下。
40手目42玉は51銀、41玉、31桂右成、同金、同桂成、51玉、52金、同玉、63銀成、42玉、33と、同玉、23歩成以下。


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